平安会館 中村斎場の松永です。
年末迫る12月の日、子どもたちの成長を見届けた父親がご家族のもとから旅立たれました。
故 中村敏雄様
仕事場では仲間たちと大工として多くの家を建て、
家に帰れば3人の子ども達とご飯を食べる。
そんな頼もしく、男らしく、大きな父親の背中見て育った喪主様もまた優しく真っ直ぐな方に成長されました。
お経が響く式場内
顔を上げれば敏雄様のお写真
静かに見守る姿は皆様に何を語りかけていらっしゃるのでしょうか。
父でもあり、親方でもあった背中は大人になった今でも大きく偉大であったそうです。
成長した2人の娘さんが嫁がれ、息子である喪主様も数か月前に大切な人を連れていらっしゃいました。
残念ながら体調が悪く、結婚式に参列することは叶いませんでしたが
病室で新しい家族となる2人を見てきっと嬉しかったことでしょう。
「その頃には話しも出来ない状態でしたが、きっと分かってくれたと思います。」
言葉では伝えられなかったかもしれませんが、たくさんの想いを目で伝えてくださったそうです。
幸せそうな我が子の姿を見て、父親として嬉しくもあり、少し淋しくもあったかもしれません。
それでも安心されたのでしょう。その数か月後に奥様が待つ空へと旅立たれました。
式場にはたくさんの花と果物が並び、式にも多くの方がいらっしゃいました。
式場入り口へは、敏雄様が作られたこいのぼりや賞状、施設の方から頂いたお土産をお飾りしました。
大きく印刷したオリジナルの礼状と一緒に並べたこの一角は、敏雄様との思い出がたくさん詰まった温かい場所でございました。
オリジナルの礼状には敏雄様との思い出が綴られました。
「この”臨時収入”っていうのは、競輪の事なんですよ。」
笑いながらそう振り返る言葉には、当時の楽しかった思い出が溢れていました。
臨時収入で家族と食事に出掛ける事も月に1度や2度ばかりでは無かったそうです。
負け知らずの競輪好き。
勝った賞金は家族でご飯。
余れば、商売道具の大工の工具へ使う。
“臨時収入”も一番はじめに使うのは
“家族との食事”というところが敏雄様の素敵な姿です。
たくさんの花と共に手向けられた想いがお柩から溢れないよう
ゆっくりと皆様の手で霊柩車に運ばれ・・・
いつまでもお名残りは尽きないとは存じますが
お別れの時が参りました。
故人様のご冥福を心からお祈り申し上げます。
合掌